あなたも、ぜひ、十字架が、自分にとってどんな意味があるのかを考えてみてください。
私がキリストの十字架の意味を初めて悟ったのは、洗礼(バプテスマ)を受けた後の聖餐の時でした。「聖餐」とは、最後の晩餐の席でキリストが定められた、洗礼と同じように重要な教会の儀式です。キリストが弟子たちに、「これはあなたがたのための、わたしのからだです」と言って与えられたというパンを食べ、「この杯は、わたしの血による新しい契約です」と言って与えられたというぶどう酒(コリント人への手紙第一 2章24〜25節)を飲んだその時に、私は、「キリストが私のために十字架にかかって体を裂かれ、血を流して、死んでくださった」ということを悟り、涙を流しつつ、キリストに感謝の祈りをささげたのでした。
それからしばらくたったある日、キリストの生涯を後ろ(復活)から前(十字架)にさかのぼって考えた時、私は、復活によってご自分が永遠の神の御子であることを示されたキリストが、十字架にかかって死なれたことを悟りました。私はこの時から、真の神の御子が私を救うために死んでくださった十字架を誇りとするようになったのです。
その後、私は、ある特別集会での説教を聞いて、ローマ帝国時代の残酷な死刑の方法であった十字架が、キリストの場合は、真の神が神の法律(聖書では「律法」と言います)を守らない罪人をさばき、罰し、さらしものにする、のろいの木であることを知りました。そしてこの日、私は、罪が一つもない神の御子が、神の法律を破った私のすべての罪を背負って、私の身代わりに神の法律に基づいてさばかれ、神にのろわれてくださったことを悟ったのです。キリストの十字架によって、私のすべての罪は赦されており、義である神がもう決して私
やがて私は、聖書を読んでいくうちに、キリストが神と人を愛し、十字架の死に至るまで神のみこころに完全に従われた方なので、神が永遠の神の国で生きることができる者であると認めて、復活させて栄光を与えられたことを悟りました。この時、私はまた、キリストが、神のみこころに従えない私の代わりに、神に完全に従った者(義)と認められて、永遠の神の国に住む資格が与えられたことを知ったのです。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(コリント人への手紙第二 5章21節)。
続いて私は、キリストの十字架が父なる神の計画によるものであったことを知り、御子をお与えくださるほどに、私のような罪深い者を愛してくださった父なる神をほめたたえるようになりました。また、父なる神のみこころに従い、私の身代わりとしてのろいの木にかかり、父なる神に見捨てられて死んでくださったキリストを、ますます誇るようになりました。さらに私は、この驚くべき神の愛を理解させてくださった聖霊に、心から感謝するようになったのです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(私たち)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)。
30年前にキリストの十字架の意味を知り始めてから今日まで、その広さ、長さ、高さ、深さを知らされ続けている私が今日言えることは、十字架において現されている神の愛は語り尽くすことができないということです。私は、自分のためにも、あなたのためにも、使徒パウロの祈りを祈ります。「(神の愛の)広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」(エペソ人への手紙3章18-19節)。
こういうわけで、私たち教会とクリスチャンは、驚くべき神の愛と計り知れないキリストの恵みのしるしである十字架を、教会堂にも、自分の家にも飾って、三位一体の神を心からほめたたえているのです。
後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋
迷っているとき、悩んでいるとき、苦しいとき…。そんなときは、聖書のこの個所を読んでみてください。
⇒ 孤独でさびしい
⇒ 悲しい、慰めがほしい
⇒ へこんで、立ち直れそうもない
⇒ 疲れた
⇒ 失敗できないことが目前に迫っている
⇒ 悪い習慣がなかなかやめられない
⇒ 決断できない
⇒ 健康を害している
⇒ 外見や人目が気になる
⇒ 不安だ。安心したい
⇒ ほしい物が尽きない
⇒ あれこれ心配して眠れない
⇒ 年をとるのが怖い
⇒ 死ぬのが怖い
⇒ 自分は価値がないと感じる
⇒ 人と比べて、自分なんてダメだ
⇒ 人が赦せない
⇒ やってはいけないことをしてしまった
⇒ 人に傷つけられた
⇒ 嫉妬を感じる
⇒ 人を愛したい
⇒ 友だちのことで悩んでいる
⇒ 自分の思い通りにいかない
⇒ ことばで人を傷つけてしまった
⇒ 夫婦関係がぎくしゃくしている
⇒ 子育てに不安を感じる
⇒ 本当に大切なことはなんだろう
⇒ 変わらないものなどあるのだろうか
聖書で語られる神の物語を見て、聞いて、知ってください。
© Mars Hill Productions
⇒ イントロダクション
⇒ 第1章:はじめに
⇒ 第2章:選択
⇒ 第3章:死をもたらす病
⇒ 第4章:約束の前ぶれ
⇒ 第5章:祝福となるために
⇒ 第6章:神の約束による民族
⇒ 第7章:神の道を歩むように召される
⇒ 第8章:約束された方
⇒ 第9章:イエスの働き
⇒ 第10章:神の愛と正義が交差する
⇒ 第11章:イエスは復活した
⇒ 第12章:イエスに従う者たち
⇒ エンディング
迷っているとき、悩んでいるとき、苦しいとき…。そんなときは、聖書のこの個所を読んでみてください。
⇒ 孤独でさびしい
⇒ 悲しい、慰めがほしい
⇒ へこんで、立ち直れそうもない
⇒ 疲れた
⇒ 失敗できないことが目前に迫っている
⇒ 悪い習慣がなかなかやめられない
⇒ 決断できない
⇒ 健康を害している
⇒ 外見や人目が気になる
⇒ 不安だ。安心したい
⇒ ほしい物が尽きない
⇒ あれこれ心配して眠れない
⇒ 年をとるのが怖い
⇒ 死ぬのが怖い
⇒ 自分は価値がないと感じる
⇒ 人と比べて、自分なんてダメだ
⇒ 人が赦せない
⇒ やってはいけないことをしてしまった
⇒ 人に傷つけられた
⇒ 嫉妬を感じる
⇒ 人を愛したい
⇒ 友だちのことで悩んでいる
⇒ 自分の思い通りにいかない
⇒ ことばで人を傷つけてしまった
⇒ 夫婦関係がぎくしゃくしている
⇒ 子育てに不安を感じる
⇒ 本当に大切なことはなんだろう
⇒ 変わらないものなどあるのだろうか