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人は何のために生きるの?

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私は本当に尊いのですか?

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どんな宗教でも同じではないですか?

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聖書は本当に信頼できますか?

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「ゴスペル」って何ですか?

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神がおられるとどうしてわかりますか?

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神様が愛なら、どうして・・・?

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宗教を信じるのは弱い人間ですか?

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教会で聞く「罪」とは何?

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聖書が教える人間とは?

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十字架には何か意味があるのですか?

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信じるだけで救われるのですか?

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クリスチャンとはどういう人ですか?

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クリスチャンになってからどうなる?

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教会はどういうところですか?

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祈りにはどういう意味がありますか?

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キリストの復活は事実ですか?

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天国は本当にありますか?

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キリスト教についての疑問8
質問
宗教を信じるのは弱い人間?家族は、「宗教を信じるのは弱い人間だ」とか「宗教は麻薬と同じで、存在し始めたらきりがない」などと言います。私も決して強い人間ではないので、「宗教を信じる人間は弱い人間」と言われると、そのとおりだとも思ってしまいます。でも、なんか釈全としなくて、もやもやした気持ちです。いったいどう考えたらいいのでしょうか。
答え
ご家族の反対で、洗礼を受けるのが難しいご様子ですね。たしかに、わざわざけんかしてまで洗礼を受けることだけが、立派なクリスチャンとは言い切れない面があります。クリスチャンが一人もいない家族の中で、だれかが最初にクリスチャンになる場合、ほかの家族の一員が自分たちとは違う世界に行ってしまうようで、寂しさや不安があるのも事実でしょう。キリスト教そのものに反対するというより、信仰を持つと本当に幸せになれるのかどうか、そういう心配もあるのではないでしょうか。反対する理由や言葉は様々であっても、とにかく心配で不安なのは同じだと思います。逆に、心配してもらえるだけ、家族の人たちはあなたに対して関心があると言えるのではないでしょうか。

それはさておき、ご質問の件ですが、「宗教を信じるのは弱い人間だ」とか「宗教は麻薬だ」ということば、よく耳にしますね。これから私が語ろうとするのは、そういっておられるご家族に対する反論ではなく、そういうことばを聞いた時に、いやな気持ちにならないためにお話するのです。はっきり言っておきますが、家族の反対を正面から論破しても、家族の方たちの心配な気持ちや不安な思いは消え去るどころか、かえって逆効果になる場合があるのを忘れないでください。

まず、「宗教を信じるのは弱い人間だ」ということばについて考えてみましょう。人間は、だれにでも弱さがあり、また、だれにでも強さがあります。問題は、何を「強い」と言い、何をもって「弱い」と言うのか、その点だと思います。

もし、何にも頼らない人間が強い人間だとすると、ちょっと考えただけでもそんな人は一人もいないとすぐにわかります。自分の力だけで生きている人間など人もいません。ごく普通の生活をしていれば、少なくとも人間同士の暗黙の相互依存があります。食べる物から着る物、電気や水道にいたるまで、だれの世話にもならずに一切を自分の手でまかなっている人など、だれもいないのです。しかし、そういう相互の依存関係を「弱さ」と言わないのは、もうすっかり当たり前のことになっているからです。そういう相互関係が長く続いている
ので、だれも自分が弱いなどと考えてもみないのです。つまり人間は、そうした相互の依存を可能にしている社会の「経済」にすっかり頼り切っていると言えるのです。人間がいかに経済に頼りきって安心感を得ているかとう事実は、不況が訪れると、とたんに社会全体があわてふためいてしまうことからも明らかです。

もちろん、私は経済活動そのものを否定しているのではありません。ただ、それにすっかり依存しきって生きる人が、本当に強い人間の姿なのか、と問われるなら、決して強いとは言えないと思うのです。逆に、経済破綻した中でも信仰心から出てくる生きがいと希望を持って生きることができるとすれば、そのほうがずっと強い生き方と言えるのではないでしょうか。

ただ、どんな人であれ、自分の利益だけを追求する生き方、自分の幸福だけを優先させる生き方をしているとしたら、その姿こそ人間の弱さの現れなのだと思います。宗教を信じる人間が特別に弱い人間なのではなく、本来人間が持っている弱さを、何によって克服しようとしているのか、そこが大切だと私は考えます。

いっぽう、「宗教は麻薬だ」ともよく言われます。宗教が麻薬のようだといわれる意味は、わからないでもありません。それは現実を超えた理想の世界を扱うという点で、麻薬の幻覚作用とごっちゃにされています。また、一度手を出したら、それにすっかり依存してしまうという意味でも似ているかもしれません。けれども、見えないものを信じ、それにより頼んで強く生きていく生き方がいけないのかというと、それは全く別問題だと思います。

先ほども言いましたが、人間は生きていく上で、何かに依存せざるを得ない面があるのです。その対象が、本当に頼りとなる確実なものであるかどうかは、だれにも言えないのです。言ってみれば、ただ確実だと信じているだけのことです。そう信じるのは、その人にとって信じるに値する十分な理由があるからです。要するに、それを人が「宗教」と呼ぶか呼ばないかの違いだけではないでしょうか。つまり、人間の生そのものが「幸福」という目に見えないものを目指し、実現するために何かに依存しながら営まれているのです。それぞれが、どんな幸福感を描き、何に依存して生きていくのか、そこが問題なのです。

そういう意味で、「宗教を信じる人間は弱い人間だ」とか「宗教は麻薬みたいだ」と言われても、本当に確実なものを信じている私たちは、それを気にする必要はないでしょう。

後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋