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人は何のために生きるの?

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私は本当に尊いのですか?

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どんな宗教でも同じではないですか?

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聖書は本当に信頼できますか?

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「ゴスペル」って何ですか?

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神がおられるとどうしてわかりますか?

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神様が愛なら、どうして・・・?

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宗教を信じるのは弱い人間ですか?

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教会で聞く「罪」とは何?

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聖書が教える人間とは?

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信じるだけで救われるのですか?

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クリスチャンとはどういう人ですか?

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十字架には何か意味があるのですか?

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クリスチャンになってからどうなる?

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教会はどういうところですか?

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祈りにはどういう意味がありますか?

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キリストの復活は事実ですか?

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天国は本当にありますか?

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キリスト教についての疑問
質問
神様がおられると、どうしてわかりますか。神がおられるということは、私たちにどういう意味があるのでしょうか。
答え
今から25年ほど前、私は初めての海外旅行で台湾を旅しました。数名のグループで賛美や聖書のお話などをしながら、台湾の北から南まで10以上の教会を訪ねました。この旅の途中のある日、教会でみなさんがお祈りしている時、私は突然「そうか!神様は中国語もおわかりになるんだ」とひらめき、世界中の人の祈りを聴いてくださる神がおられることを確信するようになりました。その翌日、アメリカの宇宙飛行士が人類史上初めて月面に到着したというニュースが世界を驚かせました。宇宙飛行士たちが、「初めに、神が天と地を創造した」と、聖書の最初にある創世記を読むのを聴いて、私は、全宇宙を創造された神がおられることをいっそう強く確信したのです。こうしてこの旅は、私にとって忘れられないものになったのでした。

聖書は、人間はだれでも、神がおられるということがわかると言っています。

まず第一に、どの人にも神を考える心があるという事実から、神がおられることがわかります。世界のどの民族や部族にも必ず何かの宗教があります。どんな人でも本当に困ったり苦しくなったりすると、思わず、「神様、助けてください」と祈る気持ちになります。

これは、人間より偉大な、私たちを助けることができる神がおられることを、私たちが本能的に知っていることの証拠でしょう。そして、人類は一つですから、この一つの人類を創造された神も唯一です。人間を造られた神は、霊的人格神で、心(知性、感情、意志)があり、見たり聞いたり話したりできる、生きて働かれる神です。私たち人間は、神のことばを聴き、神に語りかけ(祈り)、神との交わりを持つことができます。

第二に、自然を見れば神がおられることが分かります。科学も「宇宙には始まりがあった」ことを認めています。宇宙を無から創造し、今もささえておられる方が神です。アインシュタインはじめ数多くの科学者が、宇宙の秩序と自然の不思議を見て、偉大な力と知恵のある神が世界を設計して創造したと考えています。この世界を、宇宙の果てから素粒子のミクロの世界まで一つの自然法則で支配しておられる神は唯一です。この世界を創造された神は、永遠で無限の神、無からすべてを造っていのちを与えられる全能のいのちの神、驚くべき知恵と完全な美の神です。私たちは、この世
界を見て、知恵と力といのちに満ちあふれておられる神をほめたたえます。

第三に、人の道徳心を考えれば、神がおられることが分かります。有名な哲学者カントは「上なる星の世界と内なる道徳律を見れば神の存在は明らかである」と語りました。悪いことをすると良心が責められることや、人類の歴史の中で悪い事が長くは続かない事実などから、神が正しい方で、悪をさばかれるということを知るのです。世界のどこに住んでいる人にも共通した良心の声が聞こえています。人類に共通する一つの良心の働きをお与えになった神は唯一です。人間に道徳心を与えられた唯一の神は、聖なる神、善であり義である神、すべての人間を公平にさばかれる神です。私たちは、聖なる神を畏れ敬い、神が私たちの罪と悪を赦してくださるように、謙遜になって神のあわれみを求めなければなりません。

しかし、私たち人間が神について考えられることや、自然や良心などからわかることは、ほんの少しですし、時々、大きくまちがっています。聖書は、私たちが神を十分に正しく知ることができるように、神ご自身が私たちに与えてくださった神のことばです。また、イエス・キリストは、神のひとり子が人となって、目に見えない神がどのような方か、はっきり見てわかるようにしてくださった方です。

聖書とキリストによって、唯一の真の神は、ご自分が、完全で永遠の愛の神、恵み深い神であることを知らせてくださいました。神は、ご自分のひとり子を私たちの罪の赦しのために十字架で犠牲とされるほどに、私たちを愛して救ってくださいました。また、神は、死から復活されたキリストのように、私たちをも復活させ、神の子どもとして永遠に愛してくださいます。私たちは、この愛の神に導かれて、神と人を愛する人生を歩みます。

世界と私たちの人生を、唯一の神が完全な愛の計画に従って導いておられるということは、なんとすばらしいことでしょう。時には、「どうしてこんなことがあるのだろうか」と思うことが起こりますが、唯一の愛の神のお許しなしには何一つ起こりません。私たちの人生は、刺繍の絵を裏側から見ているようなものです。裏ではいろいろな糸が散り散りになっているようでも、表から見ればすべての糸が美しく織り成されています。私たちにはよく理解できなくても、刺繍の表側におられる神は、私たちの人生という布に、神の愛に満ちた最高で最善の絵を描いておられるのです。

後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋