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人は何のために生きるの?

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私は本当に尊いのですか?

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どんな宗教でも同じではないですか?

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聖書は本当に信頼できますか?

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「ゴスペル」って何ですか?

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神がおられるとどうしてわかりますか?

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神様が愛なら、どうして・・・?

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宗教を信じるのは弱い人間ですか?

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教会で聞く「罪」とは何?

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聖書が教える人間とは?

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十字架には何か意味があるのですか?

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信じるだけで救われるのですか?

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クリスチャンとはどういう人ですか?

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クリスチャンになってからどうなる?

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教会はどういうところですか?

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祈りにはどういう意味がありますか?

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キリストの復活は事実ですか?

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天国は本当にありますか?

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キリスト教についての疑問16
質問
祈りにはどういう意味があるのですか?神が全知全能なら、いちいちお願いしなくても、私たちの必要がわかると思いますが・・・・・。
答え
三十年ほど前のある早朝、私は黙って天を仰ぎ、ひたすら神を想っていました。二、三十分後、私はひとこと「お父さん!」と心から叫びました。その瞬間、目から涙があふれ出ました。その朝の祈りはこのひとことだけでしたが、それは、広大無辺の宇宙とその中にあるすべてのものを創造された神に対する、私の心からの賛美だったのです。それは、罪深い私が、キリストの恵みによって、全知全能の神の子どもとされるという驚くべき救いへの感謝と、天の父なる神への信仰と希望と愛の告白でもありました。それ以来、祈りは私にとって「苦しい時の神頼み」ではなく、恵み深い天のお父さんとの交わりの時なのです。

祈りの模範は、キリストが教えられた「主の祈り」でしょう(マタイの福音書6章9-13節)。あなたも、主の祈りによって、日々神との交わりをしてください。

主の祈りは、「天にいます私たちの父よ」という呼びかけで始まります。祈りは呼びかけで決まります。生きておられる真の神に向かって呼びかけるなら、神とのすばらしい人格的な交わりが始まります。何を祈るかより、だれに祈るかのほうが重要です。ぜひまず聖書を読んで、神がどんなお方かを知り、心からその神に呼びかけてください。

主の祈りの最初の祈りは「御名があがめられますように」です。私たちはまず神を賛美し、神がほめたたえられるようにと祈ります。私たちの祈りと人生の目的は、神の栄光を現すことです。バッハは楽譜に、「イエスよ。助けてください」と、「ただ神の栄光のために」と書いています。バッハは神の栄光のために祈りつつ作曲をしたのです。

第二の祈りは「御国が来ますように」です。御国とは神の支配という意味です。私たちは、愛と義の神が支配される世界と生活が実現するように祈ります。祈りは神の国と神の義(みこころ)を第一に求めて生きることです。

次の祈りは「みこころが天で行われるように地でも行われますように」です。神のみこころこそが最高で最善です。みこころが行われるように、自分がみこころ(聖書)に従って歩めるように祈りましょう。

祈りは、何が神のみこころがを学ぶ学校でもあります。神のみこころにかなう願いはかなえられますが、反することは聞かれないからです。私たちの願いに対する神の答えは、信号機にたとえられます。青信号のようにすぐ答えてくださる場合もあれば、黄信号のように、少し待ってから聞いてく
ださることもあり、赤信号のように、私たちには必要ではなく、みこころにかなわないので聞いてくださらない時もあります。しかし、どちらにしても、恵み深い神は、私たちに必要なことを、最善の時にしてくださるお方ですから、何でも、どんな時でも、祈り続けましょう。

第四の祈りは「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」です。これは、すでに与えられている神の多くの恵みに感謝し、私たちが神のみこころを行なって生きるために必要なすべてのものを神は必ず与えてくださると信じて願い求める祈りです。

続く「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」という祈りは、私たちと神との関係、人との関係の回復と祝福のための祈りです。私たちが神と人を愛する歩みにおいて成長できるように祈りましょう。

最後の祈りは「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」です。弱い私たちは、誘惑に負けて罪を犯し、神に逆らうことがあります。私たちは、神の栄光のために、全能の神の助けによって、罪と悪に勝利できるように祈らなければなりません。

私は手を組んで祈るとき、まず親指から、天の父なる神を覚え、神を「賛美」します。次に、人差し指で、神の恵みを一つずつ数えつつ、神に「感謝」します。さらに、中指で、高い天に心を向け、神への信仰と希望と愛の「告白」をします。薬指は私を、罪の赦しのための「悔い改め」と、他の人々の救いと祝福のための「とりなしの祈り」へ導きます。最後に、小指をみながら、私は、神の子どもとしての小さな「願い」を神にささげます。あなたも手を組んで、神への賛美、感謝、告白、とりなし、願いをささげてください。

どう祈ったらよいかわからないこともあるかもしれません。そのときは、天上と心の中でいつもあなたのために祈っている方がおられることを覚えてください。天の神の右では、キリストが、私たちの罪の赦し、悪からの守りと勝利の生活、救いの完成のために祈っていてくださいます。私たちの心の中では、聖霊が、神のみこころにかなう、私たちの成長のためのとりなしの祈りをしておられます。父なる神は、キリストと聖霊の祈りに答えて、私たちの祝福と救いの完成のために働いてくださるのです。私たちは三位一体の愛の神の祈りの三角形の中で、守られ、導かれ、育てられているのです。

後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋