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人は何のために生きるの?

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私は本当に尊いのですか?

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どんな宗教でも同じではないですか?

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聖書は本当に信頼できますか?

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「ゴスペル」って何ですか?

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神がおられるとどうしてわかりますか?

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神様が愛なら、どうして・・・?

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宗教を信じるのは弱い人間ですか?

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教会で聞く「罪」とは何?

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聖書が教える人間とは?

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十字架には何か意味があるのですか?

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信じるだけで救われるのですか?

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クリスチャンとはどういう人ですか?

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クリスチャンになってからどうなる?

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教会はどういうところですか?

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祈りにはどういう意味がありますか?

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キリストの復活は事実ですか?

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天国は本当にありますか?

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キリスト教についての疑問13
質問
クリスチャンとはどういう人ですか?「あれでもクリスチャンか」と思う人や「これこそクリスチャン」と思う人がいますが。
応え
私は外国では、よく中国人にまちがえられます。台湾や香港の教会を訪問した時は、何度も中国語で話しかけられて困りました。ドイツ留学中も、子どもたちが私を指さして、「中国人、中国人」と言うのをよく聞きました。どうも私はみなさんが持っている「中国人のイメージ」に似ているようなのです。

クリスチャンについても、多くの人々はそれぞれ自分なりのイメージを持っているのではないでしょうか。そして自分のイメージに合わないクリスチャンを見ると、「あれでもクリスチャンか」(別名「でもクリ」)と思い、自分のイメージどおりのクリスチャンがいると「これこそクリスチャン」(別名「こそクリ」)と評価するわけです。私自身も教会に行き始めたばかりのころは、クリスチャンは「まじめでやさしい人」というイメージを持っていて、他の教会員を「でもクリ」と「こそクリ」に区別していました。

聖書の中には、クリスチャンと教会についてのバラエティーに富んだイメージがあります。

クリスチャンは天地創造の「神の子ども」で、教会は父なる神を中心とする神の家族です。クリスチャンは罪深い人間でありながら、神の恵みによって永遠の神の子どもとされた人であり、神の御子であるキリストに似た者となることを目標に、子どもが大きくなるように少しずつ成長している人です。教会には、まだ幼い神の子どもも、成人してキリストの姿に近づいている神の子どももいるのです。

また、聖書では、教会はキリストの体で、クリスチャンは「キリストの手足」と言われています。クリスチャンはキリストの手足として、神から与えられた知恵や能力を生かして、神と人々に奉仕する人です。奉仕者というクリスチャンのイメージは、教会の中でよく用いられているイメージです。

クリスチャンはキリストの「弟子」です。クリスチャンは、最高の教師であるキリストの心とことばと行ないに見ならう人です。聖書を学び従うキリストの弟子というイメージは、多くの人々が持っているでしょう。

さらにまたクリスチャンは、神を礼拝して、多くの人々に神の祝福が与えられるように祈る「祭司」でもあります。礼拝者や祈る人としてのイメージはあまり一般的ではありませんが、聖書の中では大変重要なクリスチャンの姿です。
クリスチャンは、神の栄光と福音の真理のために戦う「神の兵士」でもあります。聖書には、公民権運動のリーダーであったキング牧師のように、力強く戦うクリスチャンのイメージもあるのです。しかし聖書は、クリスチャンは「羊」であるとも言っています。弱くやさしい羊のように神に守られ、養われ、導かれて生きるのもクリスチャンです。羊は、兵士とは正反対とも言えるイメージです。

「地の塩」と「世の光」というイメージも対照的なイメージです。どの教会にも、静かで目立たないけれども周囲に良い影響を与える「塩」のようなクリスチャンも大勢いますし、明るく輝く「光」のようなクリスチャンもたくさんいるのです。

他にも聖書では、全世界から集められた「神の国(教会)の国民」、豊かな愛の実を結ぶ「ぶどうの木の枝」、神の聖霊が心の中に住んでおられる「聖なる神殿」等、多種多様なクリスチャンのイメージが語られています。

どうか、あなたも、自分の持っているイメージだけで、自分と他のクリスチャン、自分の所属教会と他の教会を、評価したり比較したりないようにしてください。

聖書の中に記されているクリスチャンのイメージすべてを完全に満たすまでに成長している人は一人もいませんが、どのクリスチャンも聖書的なクリスチャンのイメージを必ず持っている、ちゃんとしたクリスチャン(別名「ちゃんクリ」)なのですから。クリスチャンはみんなで、聖書的なクリスチャンのイメージの全体を十分に表現しているのです。あなたはあなたらしい「ちゃんクリ」として成長してください。

教会についても、聖書は多種多様なイメージを記しています。神の家族として愛し合う教会、みなが熱心に奉仕するキリストの体、聖書を学び従うキリストの弟子の群れ、絶えず祈る祭司の集まり、神の栄光のために戦う軍隊、良い羊飼いであるキリストの羊の群れ、キリストを純粋に愛するキリストの花嫁等々です。

聖書が教えているこれらの教会のイメージすべてを十分に持っている教会は一つもありませんが、どの教会も「でもチャ(チャーチ=教会)」でもなければ「こそチャ」でもありません。どんな教会も、聖書的な教会のイメージのどこかで必ず成長している、それぞれに特色のある「ちゃんチャ」なのです。教会は世界の教会全部で、聖書的な教会のイメージの全体を十分に表現しているのです。あなたも、あなたの所属教会の成長しているところを感謝し、まだ十分に成長していないところも、成長できるように祈ってください。

後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋