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人は何のために生きるの?

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私は本当に尊いのですか?

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どんな宗教でも同じではないですか?

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聖書は本当に信頼できますか?

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「ゴスペル」って何ですか?

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神がおられるとどうしてわかりますか?

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神様が愛なら、どうして・・・?

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宗教を信じるのは弱い人間ですか?

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教会で聞く「罪」とは何?

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聖書が教える人間とは?

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十字架には何か意味があるのですか?

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信じるだけで救われるのですか?

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クリスチャンとはどういう人ですか?

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クリスチャンになってからどうなる?

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教会はどういうところですか?

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祈りにはどういう意味がありますか?

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キリストの復活は事実ですか?

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天国は本当にありますか?

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キリスト教についての疑問10
質問
聖書は人間についてどう教えていますか?人間は「すばらしい」と思えるときと、「とても悪い」と思う場合がありますが・・・・・。
応え
私の趣味はテニスと、ジョークの研究です。ラケットが持てるときはあまりないのですが、ジョーク集はニューヨーク(?)に行くときもよく持って行きます。私は今、世界ジョーク連盟認定の最下位の初段から始まるユーモア度の、最高位の上段(?)を目標に、入浴中のジョーク作りに励んでいるのです。では、最初の人間、アダムとエバについての子どものジョークを一つ紹介しましょう。

愛子ちゃん「私はなぜ神様が男の後で女をお造りになったのかわかったわ。」

はじめくん「へえ、なぜだい?」

愛子ちゃん「神さまはアダムをごらんになって『これはよくない』と言われて、エバをお造りになったのよ。」

はじめくん「それってどういうこと?」

愛子ちゃん「わからないの?あーあ、やっぱり男はダメね。」

神は、人間を男と女に、それぞれちがった性質や能力を持つものとして造られました。ですから、男と女は、家庭でも社会でも、おのおのに与えられたものを生かし合って協力するときに、人間として十分なことができるのです。もちろん、男と女は、神の前に同じ価値があり、神から平等に愛されています。

聖書はまた、神が人間を「神のかたち」に創造されたと言っています(創世記1章27節)。「かたち」とは外形のことではありません。神は永遠の人格的な霊で、人間のような体は持っておられません。これは、人間が神と、「あなたと私」と語り合う人格的な交わりができ、神に似た考え方と生き方をすることができるように造られたということです。最初の人間は、真の神を愛し、神からの愛によって互いに愛し合っていました。最初の人間には、神に似た「神のかたち(イメージ)」があったのです。しかし、聖書は、人間が神から離れてしまったために「神のかたち」を失ってしまったと教えています。今の人間は、真の神を知りませんし、神に似てもいません。人間は最初は良かったのに、今は悪くなっているのです。

創造された時に神から与えられた、人間が神に似た者となるべき性質はいくつかあります。

まず、第一は、主体性で、自分がどういう者かを理解して生きる能力です。人間は、ご自分を正しく知り、ご自分にふさわしい行動だけをなさる神には似ていません。私たちは自分を誤解していますし、自分の立場等にふさわしい行動や生活ができません。
第二は道徳性で、善悪を判断して生きることです。人間は、善であって善だけを行われる神には似ていません。私たちは、善悪を自分勝手に決めることが多く、善を行なえませんし、悪をやめることもできません。

第三は真理性で、真理に従って生きることです。神と神のみことばは真理そのものです。真理とは、神が罪人を愛して救ってくださるということです。多くの人々がこの真理を知らず、自分の知恵と力だけで正しい人生と永遠の救いを得ようとして失敗しています。

第四は社会性で、他の人と正しい関係の中で生きることです。人間は、すべての人を正しく愛される平和の神には似ていません。愛の神から離れた人間にとって、人間関係の問題は解決不可能な難題です。私たち人間の世界には本当の愛と平和がありません。

第五は芸術性で、美しく価値あるものを求めて生きることです。私たちは外面的な美しさを得ることに熱心になり、一時的で物質的なものを大切にしがちです。神は内面的で人格的な美しさを求められ、永遠に価値ある霊的祝福をお与えになります。

第六は宗教性で、真の神を畏れ敬い、愛して仕えることです。神から離れた人間は、自分で考え出した神(偶像)を信じて拝んでいます。世界には、神との愛の交わりを中心にした自由と喜びと平安の真の宗教ではなく、束縛と苦しみと畏れの宗教が多いのです。

第七は永遠性で、過去と未来を理解して計画的に生きることです。愛の神の永遠の救いの計画を知らない人間は、過去の後悔、未来への不安の中で、永遠の命の希望もなく生きているのです。

聖書は、キリストが完全な「神のかたち」を持ったお方であると言っています。キリストには、完全な主体性、道徳性、真理性、社会性、芸術性、宗教性、永遠性があります。完全な「神のイメージ」であるキリストを見ることは、神を見ることです。また、私たちが神に救われるということは、神との愛の交わりが再開し、失っていた「神のかたち」が回復するということです。私たちは、キリストを見ならい続けることによって、自分を正しく知り、良い行ないに励み、神の救いの真理に歩み、神と人を愛し、健全な美観と価値観を学び、神と共に生きる信仰を身につけ、神の永遠の計画に基づく人生観を持って生きることができ、少しずつ、キリストに似た「本当の人間」に変えられていくのです。

後藤喜良著「キリスト教 ここが聞きたい! Q&A 21」(いのちのことば社)より抜粋