Sidebar
Menu
Baptist Church in Kawasaki  Our Blog

アクティビティーの紹介、信仰のお話、教会スタッフのおたより
* 私たち教会のFacebookページもご覧ください。

More Important Than Life いのちより大切なもの


いのちが一番大切だと、思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きるのが嬉しかった。(*) 
 
「いのち」よりも大切なものが、この世に存在するのでしょうか、そんな驚きと関心を、この詩は読者に呼び起こしてくれます。この詩を書いた星野富弘さんは「花の詩人」と呼ばれ、口に筆を加えて、花の絵と詩を書かれます。元々、体育教師で、器械運動の模範演技をしていた際に、運悪く転落し、肩より下は全身麻痺という障害を負われました。それ以来、想像できないような悩みと葛藤を通り、また長い訓練の末、口に筆をくわえて自己を表現するという道を見出してゆかれます。こうした作者の背景を理解すると、この詩がより深い意味を帯びて来ます。体育系の青年であった彼が、この障害を受容するのは並大抵なことではなかっただろうと思います。彼にとっての「いのち」は、やはりかつての「健康の身体、動き回ることの出来る自由」ではないかと思われてならないのです。でも、この詩は語っています。「いのち」よりも大切なものを発見したことで、心の中に価値観の転換が起こり、自分の障害を受容する余裕ができたのだと。

星野さんは闘病中に、クリスチャンの方々の訪問を通して、また自ら聖書を読む中で、信仰に目が開かれてゆきます。彼の著書「愛、深き淵より」を読むと、聖書の「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」の有名な言葉によって、信仰に導かれたことが分かります。自分の痛み、苦しみを自分のことのように共感し、共に担って下さる方、イエス・キリストのところに行って心に平安がえられたのです。逆に、彼には障害があったからこそ、「いのち」よりも大切なものに出会えたとも言えるでしょう。

私達も星野さん程ではないと思いますが、障害と思えるもの-それが自分の弱さ・限界だったり、他人だったり、状況だったりする-を抱えて生きているのではないでしょうか。しかし、星野さんのように、私達もまたこの「いのち」に触れると、この障害を受容してゆく力が与えられ、場合によっては、それが新たな力の源泉になってゆく可能性さえあると思います。

この「いのち」はイエス様の許にあります。2千年前に馬小屋で生まれた方は、この「いのち」を私達に与える為に、この地上に来られたのです。商業化されたクリスマス、世の人々が忙しさと喧噪の中で過ごすクリスマス。そんな中で、今年こそ教会にきて、じっくりとこの「いのち」について考える、触れてみる機会としませんか。皆さんに、少しでもイエス様のことを知って欲しいと思います。

                         *星野富弘、「いのちより大切なもの」(いのちのことば社、2012)より 

Denen Blog
    ⇒ これより過去のポストを見る...